超クソ野郎Yの雑記

2次元からカツンに沼った女

2021年、KAT-TUNにハマった女の話

 

覚悟してください。

しぬほど長いです(笑)

 

こんなオタクもいますよ、というだけのダラダラ長いだけの話です。

沼ってすぐ書くべきだったんですが、今年中ならまだセーフかと思い・・・。笑

「出戻り」の感覚でいますが、「完堕ちまで時間がかかりすぎたお茶の間」が正しいと思います。

思い出補正があるかもしれませんが、いろいろ必死に思い返して書きました。

 

沼る前までの私

・2005年ごくせん→野ブタ。→KAT-TUNデビュー時から数年あたりに好きだった一般的なお茶の間(一応当時は亀梨くん寄りの仁亀推し)

・ジャニーズのデビュー組であれば曲はだいたい分かる。小中学校のときに関ジャニ∞、NEWS、Hey!Say!JUMPのオタクが周りにいた

・ここ10年くらいは主に2次元、2.5次元V系・・とジャンルを渡り歩いてきたオタク

2020年の1月くらいからタメ旅を見るようになり、じわじわと上田くんに沼っていき、15周年目前、令和のごくせん2再放送で懐かしさが爆発

 

ごくせん2に出会うまで

生まれた時から大学を卒業するまで、私は九州の田舎で育った。

と言っても、私とジャニーズとの出会いは、それなりに早かったのかもしれない。

物心ついた幼稚園くらいの頃には、親の趣味で車移動の時にKinKi Kidsをめっちゃ聴いてたし*1SMAPを大好きな親戚もいた。だから、特に深く考えずに、曲を聴く環境はあった。

母親はたのきんトリオ世代で、昔はコンサート行きまくるくらいハマってたらしいけど(今で言う多ステ勢)、その頃はジャニオタとしてはかなり落ち着いてたので、子どもの私にジャニーズの英才教育(?)はしなかった。しかし、のちに割と良い年になってから娘は勝手にジャニオタになるがwwwww血だな・・・。笑

 KAT-TUNとの(というかほぼ仁亀との)馴れ初め

私が小学生の時、2005年放送の「ごくせん2」で、その当時もう既にKAT-TUNだった亀梨くんと赤西くんに出会った。

衝撃だった。なんじゃこのバチクソなイケメン達は・・?と思っていた。

当時のクラス内でも、「小田切(亀梨)派?矢吹(赤西)派?」の話めっちゃしてたし、超恥ずかしいけど、自分のメガネ放り投げて友達と教室でごくせんごっことかしてたwwww

(私の、次元を問わない不良キャラ推しフラグはこの頃から立っていたらしい)

といっても、小学生だった私は携帯を持っていなくて、情報を手に入れるツールがほとんどなかった。

ゴールデンタイムのテレビ番組や、学校での友達との会話がすべて。

テレビに出る人たちが、いろんな場所で”コンサート”をやっているということすら、なーんにも知らなかった。というか、知れなかった。

うちは田舎だし、アーティストが来るようなとこじゃない。県外に出て会いにいくなんて考えたこともなかった。

 加えて、当時の私の中に、そもそも「アイドル=実際会いに行けるもの」という概念がなかった。

「アイドル(特にジャニーズ)=テレビで見る存在」という、強い固定観念があった。

 

当時CDの時代全盛期(?)とかそういう時代背景とかあった上で控えめに言っても、2005年の終わり「野ブタ。をプロデュース」からの、2006年「Real Face」でCDデビューらへんの爆発力凄くなかったですか??

あの頃は今みたいなSNSもここまでなかったのもあって、学校に行けばみんなが同じ話題で盛り上がれてた時代。「みんなが好きだった」って言っても決して過言じゃない。私はそんな時代に、KAT-TUNが好きだった。

 ちなみにこの頃は、祖父の家に行くと「近所の商店でお菓子でも買ってきなさい」と貰っていたお小遣いで、私と妹は「ポポロ」や「Myojo」をコッソリ買い、見つかって親に叱られていた(お菓子よりも単価が高いからww)。じいちゃん、まじごめん・・・。笑

雑誌は1冊ずつしか置いてないようなお店なので、(もはやドル誌あることも奇跡レベル)当時のこのお店のドル誌買い占めてたのは私たちだったのでは・・・?と思う。

 

↑実はこれ、今年になって思い出したことだけど、実家を出るときに雑誌類はほとんど断捨離した記憶があるので、今は多分何も残っていない・・と思う。

こんなに時が経ってまた好きになるなんて思わないだろうけど、当時の私に伝えたい、「どうか捨てないで大事にしててほしかった」と・・・泣


 ぶっちゃけると、当時はKAT-TUNを丸ごと追っていたわけじゃないので(言ってしまえばただの情弱)、やっぱり目が行くのは自然と、音楽番組で曲の出だしやセンターポジで歌う仁亀だった。そして私は中丸くんを通して初めて”ヒューマンビートボックス”というものがあることを知ったし、聖を通して”ラップ”を知った。当時は漠然と「凄いなあ」って思っていただけだったけど、私が初めてこの文化に触れたのは間違いなく2人の影響だと思う。だって、これより昔に触れた記憶がないのよ・・笑

かけがえのない6人時代、私が見ていたのは、テレビなどで見る表面的なほんの一部に過ぎなかったから、上田くんのことはというと「隅っこにいるミステリアスで不機嫌そうな人(全力でごめん)」って感じに映ってしまってた。あんなに可愛いのにさ!!!(※現在の私より)

 夜遅い時間帯のテレビは見せてもらえなかったから、KAT-TUN冠番組カートゥンKAT-TUN*2」の存在すらも知らなかった。


第1のオタク人生(中学生~2020年あたり)

赤西くんが留学~帰国~グループを離れる少し前あたりの間に、中学での部活や勉強、習い事なども忙しくなり、他の趣味ができ・・私はいわゆる2次元オタクになってしまっていた(笑)

 

別のもの好きになっちゃったりしてた頃の脱退発表だったし、私がKAT-TUNからフェードアウトしてしまった理由のひとつだったかもしれないけど、私も子どもだったから深くを知らなかったし、たぶんすごく勘違いもしてたし・・・。自分がもし、この時の年齢じゃなく、今の年齢・・・いや、+5歳くらいの時に同じことが起きていたとしたら、また違う気持ちだったかもしれないなと思う。


聖が抜けたときも、今まで知らないパターンだし突然すぎて衝撃を受けたけど、言葉を選ばずに正直に言ってしまうと「え、また減るの・・」って気持ちだった。この頃には私もかなり2次元オタクこじらせてたし、完全に他人事みたいに感じてしまっていた。RoarのFC盤の15周年インタビューで上田くんが言っていた、この時の”絶望感”みたいなものを想像すると胸が張り裂けそうになる。

 その後数年、別ジャンルのオタクをしていた時期のことは軽く触れるだけにします。(現場の楽しさを知ったのは紛れもなくこれらにハマったからなんだけど)

 高校までバイトNG部活三昧で、大学生になってやっと、自分で趣味のお金を準備できるようになって、今まで田舎の狭い世界しか知らなかった私は、これまでの反動からなのか「ここを~!!今飛び出して~!!いこうぜ~!!イエーーーイ!!」って反動で遊びまくっていた。

 

舞台俳優や声優やバンドを追い、何日も連続で別の県に滞在するような、「まるでお前が全国ツアーしてんの?」ってくらいの日々を送っていてもやっぱり、ジャニーズに対してはどこか「テレビで見る存在」という感覚が抜けなかった。

 テレビで存在を見るだけで十分だったし、気まぐれに曲を聴いたり、音楽番組を見たりしていても、「まあ、会える人たちじゃないし、一生会うこともないんだろうな」という諦めや、「ハマったらダメだ・・・」という、私の中でのある種のブレーキ(?)もあった気がする。でもそれは、2020年までだった。

 

2020年、じわじわと目覚めて完堕ち

地方から転職して東京に住み始めた2019年、KAT-TUNがツアー「IGNITE」を開催していたころ、上田くんソロ曲「百花繚乱」でのラップバトルが「これはまるでリアルヒプノシスマイクでは・・・?!*3」と、2次元オタクの間でも盛り上がって話題になっており、私の耳にも入ってきていた。多分その影響もあり、2020年の1月くらいから「KAT-TUNの世界一タメになる旅!+(タメ旅)*4」を録画するようになっていた。(チョロすぎやて)

3月のハピライも、間に合うように帰って「あ、KAT-TUN歌ってる」って見た記憶はあるんだけど、流し見でしたごめんよ・・。今見ると、見ていたくせに何故あのタイミングで沼らなかった・・・??と不思議。オタクの人生、いつ何が起きるか分からないとはこのこと。

4月、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の再放送も、なんだかんだ全部見てしまっていた。散々「なつかし~!!!バイバイセコウ~!!とか言ってたわ(泣)」てなり、エンディングの「青春アミーゴ2020ver.」に爆沸きしながら見ていたけど、まだ沼らない。(そして録画消してしまった私はアホです。心の底から大馬鹿野郎・・・!!泣)

 同じ頃、Twitterの2次元垢(※今は鍵垢)で「タメ旅で、ダチョウに服噛まれた上田くんかわいい*5」みたいなこと呟いたら、沼落ちの気配を察したハイフン達に囲まれてビビるwwwwww

ハイフン名物「囲い込み」、今となってはありがたかったです(?)

あの時のオタクは、その後しっかりハイフンになったよ!!!!

でもまだ沼らない。笑

 ちょっといろいろあった夏。ちゃっかり、私は気になっていた映画「事故物件」の舞台挨拶に申し込んでいた。(当たってはいない)

今後のグループがどうなるのかという不安もあったし、まだ沼るまでには至らない。

 そして、9月のTHE MUSIC DAY。いわゆる「上田くんチャンカパーナ事件」がやってきた。「パーナさん事件」ではない。

チャンカパーナを踊らない上田くん。あの姿には賛否あったとのことだけど、私の周りはほとんどが「上田くん踊ってないwww可愛いwww」て感じで見てた。私から見ても「可愛いなこの人www」だった。でもまだ沼らな(しつこい

 散々焦らしたけど、すべてのきっかけはまた、「ごくせん2」だった。

2020年の年末、たまたま番組表に「ごくせん2」の再放送を見つけた。

(私が知ってる、大好きだったごくせん??再放送すんの??なっつかしー・・・)くらいの気持ちで、会社も年末年始休暇にちょうど入った時期だったから、見てしまった。録画して、結局全部。すべての、始まり。

 

最っっ高に面白かった。

小学生の時見てたドラマを、15年も経ってから見て面白いと思えたことに感動した。

それ以上に、この作品大人になってから見ると感情ヤバくならんか・・・??

 クレジットに

亀梨 和也(KAT-TUN

赤西 仁(KAT-TUN

と並んでいて、それを見ただけで涙が止まらなくなった。

ドラマ内で、挿入歌の「絆」が流れて、またしぬほど泣いた。久しぶりに聴いたけど、歌詞も全部覚えてた。亀梨くん、10代でこんな歌詞書いてたん。天才がすぎるだろ。


そして、全話見終わった直後くらいかな。赤西くんのTwitterでごくせん再放送のこと言ってる呟き見つけてまた泣いた。(恥ずかしいからやめてくださいって言ったらごめんなさいって言われた、ってやつ)*6

 

もうここまででどんだけ泣くの私wwwwwwwww

 

年末、物心ついてからなんだかんだ毎年見てるカウコンは当然見た。

コロナで実家にも帰れず、一人寂しい年明けだったけどおかげで超楽しかった。SMAPの「SHAKE」を歌うKAT-TUNの腰振り、好きすぎたな。。。笑

 

年明けて緊急事態宣言。仕事が忙しくない時期ということもあって暇を持て余し、テレワークのBGMにジャニーズメドレーみたいなものを流し始めると、いよいよ懐かしい気持ちに歯止めがきかなくなった。これまで、曲数だけでいうとジャニーズで一番知ってたのは嵐だったんだけど*7、そうだ~、私ってKAT-TUNも好きだったな~。って懐かしくなって、ちょっとずつKAT-TUNについて調べ始めた。


KAT-TUNが次に出すシングル「Roar」が主題歌みたいだし、ストーリーも私好みっぽいし、ドラマ「レッドアイズ」は見ようかな。亀梨くんのドラマ見るの、「ボク、運命の人です。」以来かも(←ちゃっかり見ていた)。そして「レッドアイズ」は、毎週リアタイすることが楽しみになった。

 

RoarのFC盤に、ファン投票で選ばれた未音源化の3曲「青天の霹靂」「Le ciel~君の幸せ祈る言葉~」「ツキノミチ」が収録されることも知った。タイトル見ても、どれも知らないけど調べてみるか。昔歌ってた映像はあるのね、よし聴いてみよ・・・

 

え、私Le ciel知ってるわ(泣)(泣)

 

聴いてすぐ記憶が蘇った。あの曲ですか?!これだよ私が探してたの!!

X'mas  ver.だったやつ!!!これ!!!小学生の時好きだったの!!「僕らの街で」のカップリング!!

小学生の時大好きだったLe cielに、なんとこのタイミングでやっと出会えた。

聴くまで思い出せなかったともいえるけど、この時の感動マジで一生忘れない(泣)

・・・逆に、15年間もオリジナルに出会わず生きてきてたの凄くない?ww

めちゃくちゃ久しぶりに、KAT-TUNのシングルを買おうと思った。私があの時好きだった曲が「Le ciel~君の幸せ祈る言葉~」だと知ったからには、FC限定盤も絶対欲しい。FC入るか・・・。

そういえば、上田くんが出るSHOCKの日程、3/20~22が休演日だな?KAT-TUNのデビュー日は3/22。なんかあるねこれは???

15周年なら年内どこかでツアーもあるだろうし、入るなら今じゃね?と。

FC盤の注文締切超ギリギリでFC入会。ギリギリでいつも生き・・・。笑

大正解だった。

その後TwitterKAT-TUN専用のアカウントを作った翌日に、15周年ツアーが決まった。


「Roar」を手に取る日まで

時間もあることだし、とりあえず、映像化されてるライブ映像は全部見ようと思った。もはやどれから見たのか覚えてないけど、少しずつ集めていって、気づいたら過去の全部の円盤を買っていた。笑

それからもうとにかく新規ハイまっしぐら。あっという間だった。

「何年前のものでも、知らないもの=自分にとっては新規映像」だし、「リアルタイムで推しが生きてる」こんなの最高に幸せじゃん、と思った。

 この映像から何年も後の未来を知っている状態で見るしんどさや、当然だけどこの頃の彼らには会えないんだな~って気持ちにも、もちろんなった。

甘栗時代の上田くんの可愛さで性癖が歪んだ。今まで好きなキャラって、世間でいう「不良!ヤンキー!オラオラァ!(でもちょっと可愛いとこもある良い奴)」といった、現在の上田くんに近い人が多かったのに「顔はとびきり可愛いのに、体はめちゃくちゃ強いワガママプリンセス(?)」みたいな雰囲気に一気にやられてしまった。いやいや、甘栗時代の上田くん、今の私とほぼ年齢変わらんで・・・?怖。

1ヵ月そこらでKAT-TUNの歴史短期講座(独学)を終え、SHOCKのチケットを探そうとも思っていたけど、私の中のこだわりがあって、「生で初めて会うのはKAT-TUN上田竜也と決めていたので、我慢して映画と配信で楽しんだ。

 15周年のツアーは仙台が当たり、嬉しくて奮発して買った「Roar」という名前のワインと、アニバ魂グッズが発売日に間に合うように、しかも同じ日に届いてめちゃくちゃ感動した。我ながら、沼ってからのスピード爆速すぎてやばいな。

そして、フラゲ日に届いたRoarの全形態。いろんなジャンルのオタクをしてきたけど、実は、CDが6形態あって全部買ったのは人生で初めてだった。

フラゲ日は在宅にして、ポストにパンパンに詰め込まれてたCDたちをワクワクしながら開けた。「6」形態という数字から、何かあるのでは?という、公式サイトの匂わせやオタクの考察もあるなか手に取ったCD。

なんだこのエモいジャケット。

なにこれ。なにこれ・・・?

CD並べて、うわーーこういうことか、と。良い意味でやられた。

浮かび上がる、KATTUNの6文字。だから、6形態だったんだ。

 

それにFC限定盤って試聴とかなったじゃないですか。

手に入れたその瞬間からしか、聴けなかったじゃないですか。

また1人で、ボロボロ泣きながら聴いた。

その日届いたテレビ誌のインタビューで、15周年の話をしている上田くんが「過去にKAT-TUNのことを気にしてくれた時期がある人にも、感謝の気持ちを伝えたい」と言っていて、なんだかとても救われた気がした。昔ほんの少しの期間中途半端に好きだったような奴だけど、遅すぎる私でもこれから応援していいのかなって、勝手に思った。

こんな私でも、応援していいんだ。

15周年を、お祝いしていいんだ。

5周年や、10周年。
これまで、意識して生きていなかったような私でも。

 2021年3月22日、15年目のデビュー日の配信ライブで私は初めて、過去じゃなく、「今」のKAT-TUNのライブを見た。15年の重みと感謝が感じられる最高のライブだった。翌月の仙台のライブも、めちゃめちゃ楽しみになった。(ライブは仙台、横浜、愛知に行ったけど、感想ブログは完全にタイミング逃したのでないです!!!!・・・が、Twitterでは事あるごとに結構擦りまくってます)


完堕ちしてから

KAT-TUNにハマって、私の中の常識がいろいろひっくり返った。

信じられないかもしれないけど、今年知ったことがたくさんあった。

 KAT-TUNが、キンキや光一くんのバックで踊っていたこと。(デビューしてすぐくらいの歌番組はほぼ見てたから、そのエピソードを話してるのを見たことはあったかもだけど実際全然覚えてなかったし、全くと言っていいほどテレビを見ないような時期もあったので・・・)

・「Le ciel~君の幸せ祈る言葉~」にオリジナルバージョンがあること。(僕街のカップリングとして収録されていたX'mas ver.だけを知ってた)

・上田くんの印象が全然なくて、デビュー当時はクールで態度悪そう・・というイメージしかなかったし(申し訳なさすぎる)、リアルタイムでの甘栗の記憶がほぼないし(なぜ)、でもランナウェイはめちゃくちゃ好きで(坊主でもかっこいいんだなこの人!!とか思ってた程度)、ロバ丸がこんなに怖いことも知らなかった。(まあそれはいいとして)

 

ジャニーズショップってなんだ?

ジャニーズウェブって、なんだ??

ザ・少年倶楽部ってなんだ???

 

もう、本当にこのレベル。2021年になるまで、全部知らなかったんですよ私ww

別ジャンルのオタクしてるときも周りにジャニーズ好きな友達はいたけど、ライトな話しかしたことなかった。他のグループも、シングル曲とかタイアップあるやつなら結構知っているほうだと思い込んでいたけど、改めて自分がこの界隈について無知すぎることに気づいた。すげえ世界だあ・・・

再ハマりする前、今まで見たKAT-TUNのシングル一覧見て、タイトルだけで曲が分かるのは「Real Face」から「Love yourself~君が嫌いな君が好き~」あたりまでだった気がする。

あとは飛び飛びで、「ULTIMATE WHEELS」「BIRTH」とか*8。PCの取り込み履歴によると、最後にレンタルしたシングルは「TO THE LIMIT」だったようなんだけど・・・正直全然記憶がない。他も聴いたら何とな~く思い出す曲もあったけど、4人になった以降の曲はほぼ全部と言っていいほど分からなかった。知らない曲が意外にも多い事実にびっくりした。ここ数年で私は本当にただの、”KAT-TUNというグループを知っているだけの一般人”になっていたから。

でも、田口くん脱退前、4人で最後の生放送は偶然見てた。随分と逞しい見た目になった上田くんが、最後に背を向けて泣くの堪えてたようなあの姿。

私にとってはデビューした頃やランナウェイの時とか、断片的な記憶しかない上田くん。私の中では彼のイメージが長いこと止まってたにも等しいし、普段をほとんど知らなかったから、なんだか意外に思えて、”情の熱い男なんだな”と、めちゃくちゃグッときた。

そして、”また”1人減ってしまうんだ、と実感して辛くもあった。当時使っていたスマホのカメラロールを遡ると、この時のMステの写真がたくさん出てきて泣いた。記憶は薄かったけど、偶然にも記録に残していた。

直後の充電期間。実際には、グループとしての活動は休止になるわけで。

毎年見てるジャニーズカウコン2016→2017に、KAT-TUNの姿はなかった。でも、その頃の私は正直それもあんまり気にしてなかった。

この約2年間を、ハイフン達はどんな気持ちで待っていたんだろう。

KAT-TUNが存在しているからこその後悔とも言えるけど、大変な時に支えてあげられなかったっていうのは、私の一番の後悔。

メンバーはよく「ファンのおかげ」って言葉を言ってくれるけど、私はまだライブも行けないような田舎の小〜中学生頃に衝動的に好きだっただけで、この15年間、きちんとした形での応援なんて何一つしてこれなかった。

 凄く変な言い方にはなってしまうけど、「形あるうち」に、こうやって好きになれたのはよかったなと思う。いろんな経験を乗り越えてきていない、ポッと出の私がいうのなんておこがましいの極みなんだけど、もしかしたら私が好きになる前に形がなくなっていた可能性だってあったわけで。何が起こるか分からない、儚く、いつ壊れたって、無くなったっておかしくなかったものを、つなぎ止めてくれてた歴代のハイフンたちに感謝だなと強く思う。もちろんKAT-TUNにも。

 私はKAT-TUNを知ってから、KAT-TUNという船から人が降りたり、船が止まったりするのをただ岸壁から見ていた側の人間だったけど、時が経ち、ある種の落ち着く形になってから、強く大きくなった船に今年にやっと乗船した。

 どうしてこんなに空白の長い私でもまた、好きになることができたのか。

長いこと船に乗ることすらしなかった私に、言われたくないかもしれない。

 でもそれだけKAT-TUNが凄いからだよって、伝えたい。本人たちにも。ハイフンにも。

もしかしたらもう今は、船を降りてしまったかもしれない人にも。

 

KAT-TUNすごいよ。支えてきたハイフン最強だからだよって。

 

たとえ私一人が好きにならなくても、KAT-TUNは15周年を迎えていたと思うし、辛いことも楽しいこともリアルタイムでたくさん共有してきた先輩ハイフンたちが羨ましいと、正直思う。

 過去のライブの円盤を見ながら、この時期をしっかり知っていたかったなあという気持ち以上に、この時この会場にいた人たちが今も幸せであってほしい、今までKAT-TUNに関わった人たちが1人残らず幸せであってほしいな・・という壮大な気持ちになる。

いや、幸せであってくれ(切実)

 

どこかで「何を好きになるにも、沼ったタイミングが運命だ」みたいなのを見たことで、それからはできるだけ、そう思うようにしている。どんなに願っても過去には戻れないし、空白を埋めることもできない。私にあるのは”これから”だけだから、未来が続く限り、今後を支えさせてほしいって思う。こんなにも時間が経ってしまったけど、穴埋めという表現もまた違うかもしれないけど。形あるものを、形ある時に、リアルタイムで知っている。そのことはただ、大事にしたい。


最後に。

こんなに年数が経ってから同じものにかえってくるということが人生初めてだったし、記憶を掘り起こしながらハマり直すのはめちゃめちゃ苦しかったけど(笑)

年齢もあるのかもだけど、ちゃんと強く「好き」という気持ちを持って見たり聴いたりしていないと、記憶の残り方にこんなに差があるんだって思った。決して接点が皆無だったわけじゃなく、軽く触れていた時期があったからこそ、全然覚えてないことばかりで、悔しかった。

 今年まで、現場に行ったこともなければ、グッズを買ったこともなかった。

本当は、「好きだった」なんて言っていいレベルでもないのかもしれない。

 デビュー当時を知っていても、ファンと名乗れるほど愛を注いできたような人間ではなかったけど、今は確実にKAT-TUNが大好きだ。KAT-TUNを知った頃小学生だった私は、全然立派ではないけど社会人になって・・・。そんな私が、こんなに時間空いちゃったけど、また大好きになれた。知らない姿の多さや、向き合ってこなかったことへの後悔ばかりだけど、これから先を、是非応援させてほしいって思ってる。

きっと、子どもの頃の「好き~!!かっこいいよね!!」みたいな感情とはまた違うから、新鮮な気持ちのほうが大きい。これまでの分以上、いっぱいいっぱい3人を愛したい。

 

ここから、少し先の未来のことを考えて書きます。今は考えなくてもいいことかもしれないけど、ちょっとだけ。重くなっちゃうかもなので元気のある人だけ読んでね・・。

今までこちらが求める以上のことを、全力で返してきてくれた3人。

好きなことをしたかったかもしれない。やりたかったこと、我慢したこともたくさんあったかもしれない。いや、絶対にあったと思う。それでも、ハイフンのためを思って、荒波の中を力強く進んできてくれた。

「自分を犠牲にしてまで」って言葉を使うとなんだか違うのかもしれないけど、それに近い気持ちで頑張ってきてくれた3人だと思う。

もちろん、KAT-TUNが続いていくことが本人たちの望みならば私はついていくし、でも、アイドルに「永遠」がないことも分かってる。

私だって大人になったし、KAT-TUNだってしっかり大人だし、そんなのはわかってる。望みや要求ばかりを一方的に押し付けるのは、オタクのエゴだ。

だからって、この先何かがあったときに全部受け入れられるような、海みたいにデカい心の持ち主でもない。本当は「永遠が欲しい」って、大声で言いたい。幸せを知ったオタクって貪欲だから。私がそう。

もしその時が来たら、できるなら「自分のために生きてね」って送り出せるオタクになっていたいなって思う。「好きな道を生きて行ってほしい」と願えるオタクに少しでも近づいていたいと思う。

(今はこんなこと言ってるけど、実際どういう気持ちになるかは本当にわからないので責任は持てない情緒ジェットコースターな女より)

 

とんでもなく長くなってしまったけど、この後の7行が書きたくてこのブログは書き始めました。本当に伝えたいのはここだけです。

 

亀梨くん、上田くん、中丸くん。

私がまた好きだと思えるときが来るまで、KAT-TUNでいてくれて、ありがとう。

みんなで守ってくれてありがとう。

KAT-TUNをまた好きになれて、幸せです。

3人への感謝と、これから先もいいことがありますようにと願いをこめて。


15周年本当に、おめでとう!!!!!!

ありがとう!!!!!!

 

(アホみたいに長いのに読んでくれた方もありがとうございました)

 

*1:キンキで好きだった記憶があるのは、「硝子の少年」「ボクの背中には羽根がある」とか。身に染みるほど聴いてたんだと思う。子どもって同じ曲何回も聴くからね・・笑

*2:2007年4月~2010年3月まで、日テレで放送されていたKAT-TUN冠番組

*3:声優によるラップバトルプロジェクト。めちゃくちゃ簡単に言うと、武器や拳ではなく、特殊なマイクを通したラップで戦う世界。当時の私は、ヨコハマディビジョン推し。

*4:特番だった頃も含め、2014~2016年、2018~2021年までTBSで放送されていた、KAT-TUNの旅バラエティ番組

*5:2020年4月17日「No ロケハン in my lifeの旅」放送直後のツイート

*6:2020年12月27日のツイート

*7:実は高校の時にこれまたお茶の間レベルで好きで、FCに入ろうとしてギリギリ思いとどまったけど、櫻井くんが好きだった。当時のガラケーに、櫻井くんの変顔の写真(なぜ?)がやたらと保存されている。。。笑

*8:車のCMめちゃくちゃ覚えてたのと、ドラマの「妖怪人間ベム」は見てた